大道無門
こんにちは。倉山田です。今日は禅宗の話をしようかと思います。タイトルは南宋の臨済僧・無門慧海の著書「無門関」が出典です。僕が読んでいるのは岩波文庫から出てるもので、原文・書き下し文・現代語訳が載ってます。読みやすいのでぜひ。
さて、タイトルの「大道無門」は頌(仏の功徳をほめたたえる詩)の一部で、全文は次の通り。
大道無門 大道無門
千差有路 千差路有り
透得此関 此の関を透得せば
乾坤独歩 乾坤に独歩せん
現代語訳しますと、「悟りへの道に門はなく、誰でも入れる。しかし、悟りへ至る道は千差万別であり、先人の背中を追うだけでは悟りへ至れない。この書に掲げた48の公案を真に理解できたならば、天地を自在に行けるぞ。」という詩です。先人の背を追うことは一歩間違えると字句の解釈にこだわることにつながりかねないし、最後の部分で悟った結果の自在性を謳う、仏教書の最初にふさわしい頌だと思います。
しかし、この頌もすでに公案なのです。これを「良い文章だな」と思う時点で先人の背を追っていますし、そもそも「此の関」とは何かというと「仏道に門はないのに全員が悟れるわけでなはいのはなぜか」という問いなのです。文章の意味を理解することと、真に理解することは別なのですね。
記事が長くなってしまうので頌の部分のみの掲載ですが、これでは不十分なので興味がある方はぜひ全文読んでみてください。仏教に関してはまた改めて書きます。
今回はこの辺で。ご機嫌よう~